パイオニアの原点 | 宇川直宏氏
なぜ、現“在”と向き合い続けるのか?

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「社会や未来のために活動する人びと」に焦点を当て、活動の原点を探る企画「パイオニアの原点」――第5回として、現“在”美術家として活動中の宇川直宏氏にインタビューし、世界に先駆けて2010年にライブストリーミングスタジオ兼チャンネル「DOMMUNE(ドミューン)」を立ち上げた思い、生成AI以降の表現、活動を通じて目指したい社会像に迫りました。

聞き手:川村 健一、青山 公亮

必要なのは答えではなく、新たな問いを見つけ出す経験

――宇川さんはDOMMUNEを通じて多種多様なトーク、DJプレイ、ライブやトークセッション等を世界に配信し、国内外のアートシーンに大きな影響を与えていますが、なぜこのような活動をしようと思ったのでしょうか?

DOMMUNE以前は主に現代美術家・映像作家として活動していました。しかし13年前にライブストリーミングの可能性に気づいたことがきっかけで、ミュージッククリップ・グラフィックデザイン・VJ(ビジュアルジョッキー)・ライター等の仕事をいったん休業し、現代美術と大学教授のみを継続させ、DOMMUNEに注力することを決意しました。一貫してテクノロジーをマニュアル通りに使わずに、どうすれば血の通った表現へと昇華できるのかを探求するスタイルで活動を続けています。

DOMMUNEを始めるまでに原点ともいえる二つのプロジェクトをおこなってきました。一つは「Mixrooffice(マイクロオフィス)」※1といって自分のオフィスをクラブのフロアに展開していく活動です。クラブは多様な属性の人びとが集い、ジェンダー・人種・思想もボーダーレスに、クリエイティブなアイデア・エネルギーが交差するサロンのような場だと思っています。非日常を感じるフロアへの没入が新たなインスピレーションを誘発させるため、音響装置は極めて重要なので、「エイジング」※2というサウンドシステムを空間的に育てる作業を継続的におこなってきました。もう一つは2002~19年まで京都造形芸術大学(現 京都芸術大学)で担当した「視覚表現発想論」という授業の中で、YouTubeが一般的になる前の2002年からオンライン番組をつくる実践型の授業「Ultimate TV University」※3をおこなっていました。なぜこのような授業を実施していたのかというと、番組制作の現場は社会の縮図だと考えていたからです。番組はさまざまな役割の人が一つのプロジェクトをつくっていきますよね。プロデューサー・ディレクター・出演者・構成作家・衣装・美術・照明・撮影・スイッチャー等、全員がそれぞれの役割を全うしプログラムをつくり上げていきます。学生がおのおのの頭で考えながらこれらの役割をローテーションで実践することによって自分の秘められた能力を発見・開発できるシステムを構築できると考え、こうした授業をおこなっていました。「空間でのサウンドシステムの育成」と「大学での人材の育成」――この二つを同時におこなっていたのでDOMMUNEが生まれたのは自然な流れでした。

  • ※1
    SNSのコミュニケーションは希薄と考え、ダンスを通じた身体的な交流の場を設立した。これが「Mixrooffice」というオフィス兼クラブであり、2006~08年に運営され、国内外の著名なDJがお忍びで出演するグローバル・アンダーグラウンド・サロンとなった。Mixroofficeのパーティーにはフライヤーがなく、告知はmixiのMixroofficeコミュニティのみでおこなわれ、前日や当日の告知も多くリアルタイム性を重視していた。
  • ※2
    部屋全体の音響環境を最適化するプロセス。部屋の形状、家具の位置、壁・天井の素材、部屋の温度・湿度、振動などの環境要因などを考慮して、サウンドシステムの設置場所、音の反射・吸収等を最適化していく。また、時間の経過に伴って、より自然な音を奏でるようになることから長い時間が必要とされている。
  • ※3
    ライブチャットを使った番組制作の授業。東京のアトリエに毎回豪華なゲストを迎え、京都の教室とライブストリーミングで結び、互いに番組を配信する。京都発の番組は学生が制作・出演。観る・観られる関係が瞬時に反転する、実践型の授業として実施。

UKAWA NAOHIRO / Portrait of a MEDIA THERAPIST(宇川直宏氏提供)

 

――番組という画一された答えのない対象を仲間とともに探っていく時間はかけがえのない経験になるように感じます。

現在は生成AIがものすごい勢いで進化していますよね。大規模言語モデルによってHow (どのように)は手軽に探求できるトピックになっていきますから、鍛えるべきはWhy (なぜ)、What (何)、When (いつ)、Where (どこ)、Who (誰)のような総合的な要素の掛け合わせから浮かび上がる「立体的な創造」だと考えています。これらは時と場合によって最適な組み合わせが目まぐるしく変わり、汎用的な答えなんて最初から存在しません。これからは自分たちでリアルタイムに新たな問いを見つけ出す経験こそが重要になっていくと思います。

生成AI時代における「編集工学2.0」の重要性

――宇川さんは生成AIについても多くのプロジェクトで取り入れていますが、生成AIの出現以降、人に求められることはどのように変わると思いますか?

生成AI以降の表現は、言葉をいかに巧みに操って伝えるかというプロンプトエンジニアリングが重要になっているので、松岡正剛さん※4の編集工学※5の考え方が新しい意味をもつ時代になってきていると考えています。前提として、SNSにおけるFacebook、X(旧Twitter)以降のテキストコミュニケーション、Instagram以降のビジュアルコミュニケーション、YouTube・TikTok以降の動画コミュニケーションがインターネットを通じて日常となった現在、編集という行為のもつ意味や可能性が大きく拡張したと考えられます。Text to Text、Text to Sound、Text to Image、Text to Video――これらの生成プロセスにおいて重要になってくるのは、メタファーを積み上げ、それを物語に変えるプロンプト力にかかっている。生成AIによって人類総クリエイティブディレクター化してしまった現在、編集工学2.0が求められる時代に突入したように感じています。

  • ※4
    松岡 正剛(まつおか・せいごう、1944年1月25日 - )日本の実業家、編集工学者。編集工学研究所取締役所長、イシス編集学校校長、角川武蔵野ミュージアム館長。
  • ※5
    編集工学における「編集」は、特定の職業スキルではなく、広く情報を扱うことを指す。記憶と想起、選択と行動、認識と表現といった情報のIN/OUTのあいだにひそむ営みを全て編集と捉え、社会に適用できる技術として構造化したもの。
     
DOMMUNE 番組テロップ 「宇川直宏展|FINAL MEDIA THERAPIST @DOMMUNE」より(宇川直宏氏提供)

センスではなく「ナンセンス」を生成する

――イメージを成立させる物語を描く力が重要になってくるということですね。何かのアプリケーションを使えるといった技術者の特権だったものがどんどん失われて、センスが重要になるということでしょうか?

生成AIの登場によってセンスの意味すらもアップデートされました。センスって五感から感じ取った美意識によって構築された文脈の上に存在していて、コンテクストを把握したうえで採用したりあえて外したりすることで表出するのですが、あえて外すには文脈を人一倍悟っていないと無理だった。元ジャックスのシンガーソングライター・著述家の早川義夫さん※6が手掛けたアルバムのタイトルに「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」という格言がありますが、最先端のトレンドはリアルタイムに脚光を浴びている状態に過ぎず、隆盛を極め、じわじわと消耗し、もっともダサいものへと常に変転していく。トレンドは時間を経て消費され、歴史のはざまをさまよいながら地下を移動していて、チャンスがくるとまた脚光を浴び消費されるという循環です。そういううねりに巻き込まれないようにセンスの表出をコントロールすることでトレンドを乗り越えていく。表現者はそのような行為を常におこなうことでクリエイティビティを保っていたはずなのです。

  • ※6
    早川 義夫(はやかわ・よしお、1947年12月15日 - )日本のシンガーソングライター、著述家。1960年代後半にロックバンド、ジャックスのメンバーとして活動。解散後はソロとして活動を継続している。


――たしかにアートの世界も文脈をいかにつくるかが重要になっています。優れたクリエイターは文脈を整え続け、現在を絶妙に捉えるからこそ独自の世界を描けています。

これまではそれぞれのクリエイターが独自のセンスによって文脈を深めていたからこそできていたことだと感じていたのですが、AIは文脈を無視していきなりエクストリームなイメージを投げかけ、乗り越えてくる。一時期話題になったハルシネーション※7はAIモデルのアーキテクチャ・学習データ・プロセスの問題から生じてくるゆがみですが、僕が言いたいのはそれとは別で、想像もつかなかったコントラストの強い記号を偶発的に接続してくる行為のことです。これはジョン・ケージのチャンス・オペレーション※8や、ブライオン・ガイシンとウィリアム・S・バロウズのカットアップ※9のような無秩序で衝撃的な時空のゆがみを生みます。不条理なナンセンスを瞬時に生み出せるからAIは脅威なのです。例えるなら個性の異なる超天才漫画家たち――赤塚不二夫と谷岡ヤスジと吉田戦車と漫☆画太郎と天久聖一が5億人ぐらい中に入っているようなイメージ(笑)。この可能性を理解できる人が使えば、これほど強力なコラボレーターはいないと感じます。つまり生成AIの時代はセンスではなくナンセンスが競われることになるのです。編集工学2.0とナンセンス生成(笑)――この二つの角度から現代における表現を読み解き、映し出すことが重要です。

  • ※7
    ハルシネーション(Hallucination:幻覚)とは人工知能(AI)が「事実とは異なる内容」や「文脈と無関係な内容」といった誤情報を生成すること。人間が「幻覚」を見る現象と同様に、まるでAIが「幻覚」を見て出力しているかの様子から、このように呼ばれている。
  • ※8
    アメリカの作曲家ジョン・ケージが、1950年代から採用した偶然性の音楽の方法。易 (えき) やサイコロ、コンピュータの乱数表などを用いて作曲素材や演奏形態などを決めるもの。作曲家の意図を可能なかぎり排するという目的をもち、音楽作品の在り方を根本的に変えた。
  • ※9
    テキストを分割(cut-up)して無作為に再構成する技法。1950年代末から1960年代初頭にかけて小説家のウィリアム・S・バロウズと、画家で複数メディアの表現者のブライオン・ガイシンが、書籍のページや録音テープを再構成して新しい物語をつくったことでこの手法が大衆的に知られるようになった。


――プロジェクターが発売された当初、一般の方は「リビングを劇場にするもの」「会議室でスライドを共有するもの」と考えた。それを宇川さんたちがクラブに持ち込みVHSの映像をリアルタイムに即興でスイッチングして、VJというフィールドが生まれたわけですが、宇川さんが語る編集工学2.0やナンセンス生成はこれに通じるものがあるように思います。今、改めて実験的な時代が訪れていますが、今後の「人間」の仕事はどのようになっていくと思われますか?

イメージを言葉でエンジニアリングすることによって、誰もが脳内ビジョンをAIと共に数分で言語化・可視化・可聴化できる時代になった。全人類が新たな創造力に支えられた現在、今後の「人間」の仕事や役割を考えると、クリエイターが消えていきエディターが増えていくように感じます。同時に、より明確にアーティストの真の役割が浮かび上がると思います。「人間行為」としての純粋芸術の真価です。「つくる」という活動や価値はこれからも変わらないものの、決定的にその概念が変わる。これらを総合的にエンジニアリングできる審美眼、もしくは逆に生身の芸術を貫くエクストリームな人間力をもつことが大切な時代になるのではないでしょうか。

人間活動の側にAIを巻き込みたい

――話は変わりますが、投資家には住む場所にこだわる方が多くいます。関心事の最前線を肌で感じているからこそ、いち早く価値あるサービスを提供している会社を選べるという理由です。

DOMMUNEがクラブカルチャーを推している理由もそれに近いと思っています。ライブパフォーマンスは自らが表現したい世界観をオーディエンスに投げかける行為ですが、オーディエンスの熱狂を目の前で浴びて、求めているものをリアルタイムでセレクトしエディットし続けるのがDJです。圧倒的なアーカイブの中から抽出したものだけをつなぎ合わせて、リアルタイムに目の前で編集している。そして時にはあえて文脈を外してオーディエンスを沸かせている。DJとオーディエンスのインタラクションによってブース内とフロアのエネルギー交換が成り立っているということが重要で、それを支えているのは積み重ねてきたデータセットと経験値がつくる圧倒的な年輪なのです。しかも最新のCDJ※10はクラウド上にあるデータをリアルタイムにセレクトすることができますし、サブスクのプラットフォームに接続すれば、地球上にあるミュージックファイルのデータセットの中から一曲を選びリアルタイムに編集できる。このアーキテクチャは、ディープラーニングのデータセットをリアルタイムに与えられているような状況なので、DJそれぞれが今まで学習・実践してきた経験値をオーディエンスのバイブスを浴びて応答しながら生成させている。毎夜毎夜立ち上がってくる複数のコンテクストを肌で感じることが大事で、ダンスフロアはインプットもアウトプットも審美眼に支えられた人間力に満ちている。

  • ※10
    ディスクジョッキー(Disk Jockey)である「DJ」と「CD」を合体させてできた名称。 CDを読み込んで使用するPioneer DJ社が開発したDJ機材。


――DOMMUNEのコアなコンセプトが見えてきました。しかし宇川さんの選択は経済的な観点からいえば非合理にみえます。映像・グラフィックデザイン・VJ・ライター等、ベーシックななりわいを全部捨てて、DOMMUNEをやるというのはなかなかできるものではないと思います。なぜ外せるのでしょうか?

合理的なビジネスに発展しそうな気配が見えたらいつも捨てるようにしています。逆に言うと、だから今も活動できているのです。僕らDTP(デスクトップ パブリッシング)第一世代は、パソコンで映像編集できるようになったDTV(デスクトップ ビデオ)第一世代でもあります。パソコンでCDジャケットのデザインをしていたグラフィックデザイナーがMV(ミュージック ビデオ)も兼任してつくるようになっていきました。僕もその一派なのでMVをたくさんつくりました。世の大勢は広告業界へと波及し、多くのクリエイターは広告の世界に行きました。僕はあえてそこには行かなかった。クリエイティブって「トレンドを生み出す行為」と「独創を極める行為」があって、前者は軸足が自分の外側にあるので、自分を見失いがちです。後者とのバランスを取る自信がなかったので、広告の世界には行かなかった。合理的なビジネスに発展しそうな気配が見えたらいつも捨てるようにしている理由はそれです。その代わり、クリエイティブではなくアート、いや、ここはあえて日本語で芸術を選んだ。等身大で生身の人間活動の中から生まれてくるものを信じたということです。だから生成AIとのコラボでも自分を見失うことなく、逆に人間活動の側にAIを巻き込みたいのです。

現在は更新するために存在する

――宇川さんは現“在”美術家として活動されていますが、現“在”にこだわっている理由を教えてください。

芸術とは何かといえば、いずれ必ず死を迎えるものの「ブルース」だと歳を重ねて悟りました。今ここに存在しているものは平等に現在を変えられるし、逆にいえば今ここにいるものは変えるために存在している。ここでいうブルースは死を意識した表現であり、同時に枯れゆく自らの存在を生々しく映し出し、自分自身の音色(おんしょく)を奏で吟ずることです。生を謳歌することが「ソウル」だとするならば、その人生の折り返し地点で身につけないといけないものがブルースだと感じています。人は必ず老い、いずれは朽ち果て死んでいく。だから僕は今に誠実でありたいし、そんな今を更新する瞬間と真剣に向き合うために現“在”にこだわっています。その探求をおこなっているプロジェクトがDOMMUNEであるため、僕はこの表現活動を「ライフログアート」と呼んでいます。かつてはそれが自分にとってのVJだったりデザインだったかもしれませんね。

――たしかに現代の芸術は概念のアップデートに価値がおかれていますし、だからこそ芸術には社会を変えられる力があると思います。

ブルースの種は意図していない時空に実る

――最後に、未来のパイオニアに対して一言お願いします。

偶発的事故を味方につける――これが現在の座右の銘です。僕がライブストリーミングを始めた理由は編集不可能な表現世界に憧れたから。一晩終わったら終わり、何があっても終わり、後悔しても終わり。そしてまた新しい一日が始まるみたいなスポーティーなスピード感に憧れていた(笑)。必ずしも完璧な1日は訪れないし、ときには想定していないような事故だって起きます。以前のスタジオは地下にあったのですが、大雨洪水警報が出るほどの集中豪雨で放送直前にスタジオが水没しましたからね(笑)。ただ、今でも浸水配信ができなかったことを悔やんでいます。水没する姿を「8時だョ!全員集合」※11で起きた停電放送のようにニュース・エンターテインメントにしたかった。偶発的事故を味方につけるという言葉を常に心に留めていたら、何が起こっても全て作品の側に引き上げられる。それって失敗・成功のあるマニュアル的なクリエイティブでは考え至らない境地なのです。こういう特異で異質な事故や体験を全てエンターテインメントに読み替え変転できる受容力にこそ、芸術的な人間力が発動するように思います。ぜひ失敗や過ちも「ブルースの種が実った」的な時空感覚で物事を捉えて自分の人生を芸術的に生きてください。

  • ※11
    1969年10月4日から1971年3月27日、および同年10月2日から1985年9月28日までの2期にわたってTBS系列で毎週土曜日に放送されていたお笑い番組・公開バラエティー番組。全803回。

インタビューを通して

「わたしがこんなに感動するのだから、世界中の人びとも感動するに違いない」――ウォークマンの開発を決意したときのソニー創業者のひとり、井深大氏の言葉だ。宇川氏の選択は常に非合理にみえるが、それは答えをトレンドに求めるのではなく自らの感動と向き合い続けた結果である。生成AIによって、誰しもが正解を得られやすくなった今、人に求められるのはその人ならではのブルースであり、失敗すら笑ってブルースに変えるという発想が困難を可能にするのだろう。DOMMUNEとは「commune」(小規模な共同体を指す)を更新する造語(Cの次のD)だという。Dはデジタル・デモクラシー・デストロイ等、多数の意味が込められており、そこから見えるのは現“在”への強いこだわりと今を更新しようとするたゆまぬ努力だった。DOMMUNEから新たなブルースが生まれる瞬間をこれからも期待したい。

Text by Ken-ichi Kawamura
Photographs by Hirokazu Shirato
 

宇川直宏 うかわ・なおひろ 現“在”美術家|DOMMUNE 主宰1968 年香川県生まれ。現“在”美術家。映像作家、グラフィックデザイナー、VJ、文筆家、大学教授など、1980年代末より、極めて多岐にわたる活動をおこなう全方位的アーティスト。既成のファインアートと大衆文化の枠組みを抹消し、現在の日本にあって最も自由な表現活動をおこなっている。2021年、第71回芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

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