パイオニアの原点 | 伊能美和子氏
イノベーションに貢献する新たなジョブを定着させる

「社会や未来のために活動する人びと」に焦点を当て、活動の原点を探る企画「パイオニアの原点」――第3回として、イントレプレナー(社内起業家)として早くから活躍し、現在はイノベーション創出をテーマに「ヨコグシスト®︎」として活動されている伊能美和子氏に、これまでの思いや目指したい社会像を伺いました。

聞き手:川村 健一、中川 真由美

イノベーションを生む役割とは

――イントレプレナーとしてのキャリアを重ねた後、独立されてヨコグシスト®︎として活動されていますが、どのような思いから現在の活動を始めたのでしょうか?

大手通信会社に30数年勤めていたのですが、そのうち20年ぐらいはイントレプレナーとして多くの事業を手掛けてきました。コロナ禍で世の中全体が大きく変わろうとしていたタイミングに、私自身としても現役で働ける残された時間を考えるようになっていました。複数の会社から社外取締役のオファーをいただいていたこともあり、自分をオープン化すれば、より多くの方のお役に立てるのではないかと考え兼職を前提に2020年に転職し、その後独立しました。

その際にこれまでの活動を振り返り「私はバウンダリースパニングをする人なのだ」と気づきました。世の中、依然として多くのセクターが縦割りですよね。そこにはバウンダリー(境界)があって、スパニングというのは「橋を架ける」という意味ですが、工具のスパナのようにボルトを緩めて解いた後、もう一回締め直すように組織をまたぎ連結するような存在――そのようなジョブがバウンダリースパナーです。バウンダリースパニングという言葉は、『両利きの経営』の共著者の一人であるハーバード・ビジネス・スクールのマイケル・L・タッシュマン名誉教授が1970年代に提唱したもので、バウンダリースパナーという存在がイノベーションの起点になると述べています。

日本ではイノベーションは「技術革新」と翻訳されることが多いのですが、イノベーション理論を提唱した20世紀前半を代表する経済学者シュンペーターは、イノベーションとは「価値の創出方法を変革して、その領域に革命をもたらすこと」であり、変革の段階では「新結合」が起きると述べています。新結合とは既存の組み合わせを一回ほどいて、違うパーツを持ってきて結合し直すこと。今、日本からイノベーションが起きにくくなっていることの背景のひとつには、新結合を生み出すバウンダリースパナーのようなジョブが定着していないこともあると考えています。ただしバウンダリースパナーという言葉は日本語ではなじみがなく、直感的ではないですよね。そこで縦割りになったセクターをつないで横串を通す人を「ヨコグシスト®︎」と呼ぶようにしました。「ヨコグシスト®︎という役割の重要性を皆さんに知っていただくこと」「自分自身がそのような役割を果たすこと」「そのような人材を増やすこと」――このようなミッションのもと活動しています。

新規事業という選択肢

――なぜ、企業にいながら、その企業の主流の業務ではなくて、多くの新規事業に関わっていたのでしょうか?

新卒として入社した時から会社というのは社会課題や世の中にある困りごとを解決するために存在するものだと思っていました。だから、就職活動の際にも社会課題に向き合い、解決できそうな会社で働きたいと考えていました。当時は通信が自由化・民営化されたタイミングだったので、これからさまざまな分野で通信が使われていくようになるだろうと考え通信会社を選びました。入社後は行きたい部署を自分で探して、交渉して行かせてもらっていましたが、私みたいに新規事業をやれるところにあえて異動している人は非常にレアでした。「新規事業の成功確率は千三つ(せんみつ)」とよく言われますが、新規事業は失敗が当たり前の世界ですから出世を目指す人は避けようとしがちです。既存ビジネスの改善で前年比130%を狙うようなポジションの方が、効率よく社内評価を得やすいですから。私の場合は社会課題や世の中にある困りごとの解決を中心に求めていたら結果的に新規事業に多く関わっていたことになります。

――女性のイントレプレナーを応援する活動もされていますが、どのような社会・ビジネス環境になって欲しいという思いをお持ちですか?

女性登用が進んでいるとはいえ、女性はまだまだ職場の中でポジションが限定されているように感じています。例えば新設の部署やコストセンターで評価されにくいところなどがあるかもしれません。現時点ではガラスの天井(性別、国籍、人種といった本来の実力とは関係ないことが要因となり、正当な評価がされずに昇進を阻む見えない壁がある状態)を感じている方もいらっしゃるのではないでしょうか。事実として、世界的に見ると日本の女性管理職は非常に少ない傾向にあるとデータ※1でも出ていますよね。

女性は職場以外の社会にもコミュニティを持っている気がしています。例えば「ママ友がいます」「趣味の仲間がいます」というように、職場以外のつながりと深く関わっているのは依然として女性が多いように感じますよね。結果として女性は「皆さんが何に困っているのだろう」「もっとこういうところが便利だったらいいのに」とか、世の中のいろいろな側面を見ているように思います。新規事業は「不の解消」といわれるように、世の中にある不便・不満を見つけて、その解消方法を考えることからビジネスが生まれます。今の時代は女性の方に「不」が多いと感じますし、「不」に気づきやすい。世の中の「不」に気づけるのは、ものすごく価値があるわけです。

新規事業を始めると調査・マーケティング・人事・人材開発・経営等、やることがたくさんあります。小さい単位かもしれないですが、経営者になるために必要な学びが新規事業にはたくさん詰まっています。私は新規事業をやっていたからこそ今がありますし、自分の可能性は自分で広げるものだと思っているので、女性にこそ社内起業をお勧めしたいですね。

成功への近道はトライアル・アンド・エラー

――現状、データ※2上では、日本人はチャレンジを嫌う傾向があります。これに対して伊能さんは、どのように思われますか?

教育に原因があると思っています。戦後の復興期は「追いつけ追い越せ」で目標が明確でしたよね。以前、お仕事でご一緒させていただいた安斎勇樹さんの言葉ですが、今までの教育や世の中は「軍事的世界観」で人を育ててきた。言われたことを言われたとおりにやり、結果を出す人が評価されました。人と違うことにチャレンジすると「皆と違う」「同じようにやりなさい」――そのような教育もされているし、職場も同じです。でも、VUCAの時代になると、言われたことが間違っていることも多くなってきました。今は安斎さんの言うとおり「冒険的世界観」が求められていると思います。いろいろなところにいる仲間を集めてきて、皆で行こうとする進め方です。今は、偉い人が言っていることが必ずしも正解ではない時代です。正解かわからないから、集合知を得ながら未知の世界を開拓していく必要があります。

これからは好奇心、行動力、ファシリテーション能力が高い人が強いと思っていますが、そのような人を育てる教育はそれほどできていないのが現状です。今、学校教育では探究学習が注目されています。何が正解かわからないときに、自分で問いを立てて、答えを探す能力を身につける学習です。「じゃ、こっちへ一回行ってみようか」「でも、間違えたら、また戻ってこようか」――このように自ら考え行動し、反応を見ながら時にはちゅうちょせずに方向転換する、そのようなことができる教育や、それをよしとする風土・カルチャーをつくらないといけないと感じています。

目標が明確だったのは過去の話で、そのような状況は世界のどこにも存在しません。いち早く知と知がつながり、ファシリテーションによって集合知をまとめ上げ、それが正解かどうか誰にもわからないからまずは試す。PoC(プルーフ・オブ・コンセプト)がもっと気軽に試せるような世の中にする必要があると思います。今は失敗をものすごく責めてしまいますよね。先ほど「新規事業の成功確率は千三つ」と話したとおり、イノベーションはトライアル・アンド・エラーこそが成功への近道であり、確率論の世界です。天才物理学者のアルバート・アインシュタインの言葉に「Anyone who has never made a mistake has never tried anything new. (一度も失敗をしたことがない人は、何も新しいことに挑戦したことがない人である)」とありますが、失敗した人はチャレンジしたということですから、今後は「失敗した人は偉い」という考えを定着させる必要があります。

  • ※2
    60か国を対象にした世界価値観調査(2010~14年)では「冒険し、リスクを冒すこと、刺激のある生活が大切」という質問に対して「あてはまる」と答えた割合は、日本が23.9%で最下位。上位・下位の10か国の他、韓国・スペイン・米国・インドをピックアップして作図しました。

越境してイノベーションに貢献する新たなジョブを定着させたい

――伊能さんは、どんな未来を目指して活動をしていますか。

私が新入社員だった頃を振り返ると、一日中フラフラしている面倒見のよい先輩がたくさんいました。いつも喫茶店とかにいて「伊能ちゃん、お茶飲みにおいでよ」っておごってくれるわけ。そのような方の周りにはいろいろな人がいて「今、このジャンルで困っているので今度相談してもいいですか」とか言うと「じゃ、詳しい方を紹介してあげるよ」みたいな感じで橋渡しをしてくれていました。

ところが今はそのような面倒見のよい人は「あの人、仕事してない」みたいに扱われる世の中になってしまいました。成果が見えにくい役割だから評価制度の上で冷遇され、職場からいなくなってしまったのです。そこにまた、ミッションオリエンテッドな米国的経営手法が入ってきて、短期的な経営・単年度経営みたいな考え方が取り入れられました。そのような文脈では中長期といっても3年が目安になりますが、1年目、2年目、3年目の数字を達成しなくてはいけません。短期的な数字さえ達成すれば社内評価を得られるから、過去の改善ばかりが進み、企業活動がビジョナリーでなくなり、ゼロから新しいモノやコトを作れなくなってしまったのです。失われた30年で起きたことはこれだと私は思っています。

昔は縦割りといっても「あの人の頼みなら」みたいに現場レベルでは協調しあっていたように思います。今は事前に契約していない業務は振ってはいけないという決まりもあったりして、ますます縦割りが進んでいます。

着物の布を作るときは、経糸(たていと)を先に張ります。その間をシャトルという緯糸(よこいと)を巻きつけてある木の道具が左右に行ったり来たりすることによって徐々に布になっていきます。経糸だけだったら布にならないでしょう。縦と横の繊維が絡まるから布になるし、丈夫になって模様も作れる。社会も組織も布と一緒です。縦に対して横向きに動く人、それがイノベーションの担い手だから、その人たちの価値を経営層がちゃんと理解して、意図的に配置する必要があります。本人たちが「こういうことをやっていていいのだ」と自信を持つとか、認めてもらえるとか、そのような世の中にしたいですね。

ヨコグシスト®︎は探索の人だと思っています。VUCAの時代は、今までやっていた通りにやって、いくら成績を上げていても、気づいたらマーケット自体が変わっていた――そのようになるリスクが高い時代だから、新結合に関わる人を意図的に配置しないといけません。全然違うところへ越境して、いろいろな業界の人と付き合い、イノベーションに貢献する人を増やす必要があります。一人二人では布にはならないですよね。

今まで出世する人はその職場の専門家でした。職場の専門家から仕事の専門家にならないといけないのがこれからの時代です。どこへ行っても使える、ポータブルスキルが大切になると思っています。そういうと、わかりやすい専門力や職種に目がいきますよね。「横につなげてイノベーションのきっかけを作る人」「いろいろなことをちょっとずつ知っている人」――私はこのような能力もイノベーションに必要な専門職だと思っているから、ヨコグシスト®︎というジョブを提案しています。皆さんの職場にもヨコグシスト®︎は多分います。だけど、ジョブとして認められていないから評価されにくく肩身の狭い思いをしているはずです。だから、ジョブスキルと定義して、イノベーションが起きやすい世の中にしたいですね。いつか全国のヨコグシスト®︎を集めて「ヨコグシ・サミット」などもやってみたいです。

人生はPoC、まずやってみる

――最後に、未来のパイオニアに対して一言お願いします。

私は「人生はPoC」と思っています。アイデアがあればすぐに試してみて失敗したら戻ってくればいい。PoCは新規事業で必ずやることですし、失敗から学べることってすごくたくさんあります。パイオニアは皆きっと辛いと思うのですよ。大抵うまくいかないから。その時に「あ、これ、PoCだったわ」って思うと「はい、次」って思えるでしょ。でも、多くの人は失敗したくないから、動く前に口コミを調べるとか、売れている定番を探しますよね。先日、友人と話していて面白かったのが、動画配信サービスで映画を観ようとした時、レビューを見ていたら2時間経っていたって。その時間があれば映画一本観られたよねって(笑)。

新しいことは前例がないことばかりです。そんな時こそ、まず小さく試せばいいのです。もちろん、誰しも失敗は嫌だと思うけど新規事業の感覚でPoCだと思うと、チャレンジすること、うまくいかなかったことに対して、自分を責める気持ち・罪悪感が少し薄まりますよね。だから、私は「人生はPoC」と思うようにしています。

皆さんも難しく考えず、まずやってみてください。「人生はPoC」です。

Text by Ken-ichi Kawamura
Photographs by Masaharu Hatta
 

伊能美和子 いよく・みわこ (株)Yokogushist代表取締役NTTグループにおいて20年超、シリアルイントレプレナー(連続社内起業家)として、音楽著作権処理プラットフォーム、クラウド型デジタルサイネージソリューション、日本初MOOC(大規模オンライン講義配信サービス)など、計10以上の事業やサービスを立ち上げた。
事業創造のモットーは、ステークホルダーと共に市場創成から業界全体のDXまでをターゲットとしつつ、「培地」を作り、その中で化学変化を起こす「触媒」としての役割を果たすこと。自社サービスの提供にとどまることなく、発起人として「デジタルサイネージコンソーシアム」、「JMOOC」などの業界団体設立も主導した。自ら立ち上げた(株)ドコモgacco代表取締役社長、タワーレコード(株)代表取締役副社長を経て、2020年に東京電力ベンチャーズ(株)に転職後、(株)Yokogushistを設立。また、マルチキャリア(本業以外に複数の仕事や役割を持つことで多面的なキャリアを築くこと)で複数の企業の社外取締役、設立に関与した大学の客員教授、業界団体の専務理事も兼任し、「バウンダリースパナー/ヨコグシスト®」として活動中。

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