アメリカとは何か? 〜社会的分断のポリティクス〜
―Future Impact Forumより―

第2期トランプ政権が始まり、矢継ぎ早に大統領令が出されるなど、世界中の耳目がその動向に集まっています。政治的熱狂の背後に見え隠れする自国中心的なアメリカの自画像は、どのようにつくられていったのか。今回のFuture Impact Forumでは、アメリカ史研究の第一人者である貴堂嘉之先生をお招きし、「アメリカとは何か?」というテーマのもと、多様な視点からお話しいただきました。
目次
アメリカが分断されていなかった時代はあるのか?
まず、「アメリカとは何か?」を語る上で重要な論点となる「分断と統合」について言及したいと思います。「アメリカ社会の分断の深刻化」という言説は、近年多くのメディアによってけん伝されてきました。分断、分断と繰り返すメディアに対して、アメリカ史の研究者界わいではよく「分断ビジネス」と皮肉を込めて言うことがあるほどです。
そもそも、アメリカが分断されていなかった時代はあるのか?という問いを投げかけてみたいと思います。歴史的見地に立つと最初は東海岸の13植民地が独立して国をつくりますが、実はそれぞれの植民地は自主独立の気風が強く、一つの国になること自体が奇跡であったという事実が見えてきます。また、19世紀の領土拡張時代には自由州と奴隷州という形で二つに分断されていました。南北戦争という未曽有の内戦で、本当に国を二分するような危機を迎え、62万人もの戦死者を出し、ようやく分断を免れたわけですが、その後も南北の分断は続いて今日に至ります。南部社会は、南軍の英雄であるリー将軍などを顕彰しながら、南部の人種隔離社会を正当化してレイシズムを温存、独自の地域社会を形成するなど、南北戦争以前からの分断は今も継続中とするのが私を含めた専門家たちの見解です。
アメリカの統合的な歴史像は理念的なもの
次に、統合的なアメリカ像に関しても注意が必要です。2004年の民主党大会におけるオバマの有名な演説に「一つのアメリカ」※1があります。リベラル陣営はこうした統合的なアメリカ像を実存のものとして語る傾向がありますが、それは間違いで、統合的な歴史像とは常に理念的、予定調和的なものであることを強調したい。ここで、一つのキーワードとして「アメリカ例外主義」という言葉が浮かびます。意味としては、人類の歴史(世界史)においてアメリカのみが、神の恩恵により人類社会を統べる法則の外にあり、ほかの国民国家とは異なった特別な使命を背負ったユニークで例外的な発展の道程をたどってきたとする信条、とでも言いましょうか。これが、「丘の上の街」※2や「自由と平等の国」、「機会の平等」、「アメリカの夢」など、理想郷としてのアメリカ像や西部開拓の歴史の正当化に用いられてきました。
実は、この「アメリカ例外主義」という言葉は、1920年代の後半に、国際共産主義運動の渦中で生まれたものです。ロシア革命後、スターリンは各国の共産党に階級闘争の強化を指令しました。しかし、アメリカ共産党はアメリカの資本主義はいまだ安定期で、崩壊には至らないと自由裁量を求めるわけです。これに対してスターリンが、暴力的な階級闘争は不可避なのだ、マルクス主義的な歴史法則には「例外」はないのだとアメリカ共産党指導部を更迭し、彼らの主張を「アメリカ例外主義」と呼んで全面否定した。これが始まりです。そして戦後に東西冷戦が激化し、この「例外性」こそが、アメリカ的な自由主義社会、資本主義の突出した成功の要因だったと肯定的な評価へと反転しました。以後、アメリカの国際政治における「世界の警察官」としての正当化や世界中から移民を受け入れる「人類の避難所」としての自画像の形成、あるいは戦後のヨーロッパの社会主義による混乱とは異なる、リベラリズムの継続性を強調して、アメリカ社会の一枚岩性を主張した歴史へとつながります。こうした統合的なアメリカ像が支える例外主義的なものの見方のゆがみを正していくことが、今日の私たち世代のアメリカ史研究者の大きな仕事になっています。
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※12004年7月27日の民主党大会においてオバマ元大統領が語った一節
「私は今夜、こう言いたいと思います。リベラルなアメリカも保守的なアメリカもない、あるのはアメリカ合衆国だ。黒人のアメリカも白人のアメリカもラテン系のアメリカもアジア系のアメリカもない、あるのはアメリカ合衆国だ。」 「私たちは一つの国民です。誰もが星条旗に対し忠誠を誓い、私たち全員がアメリカ合衆国を守っているのです。」 -
※2「丘の上の街」(a City upon a Hill)は、1630年のウィンスロップの演説(“A Model of Christian Charity”)に登場し、「神の祝福を受けた世界の模範となる街」という神話的、自己肯定的な文脈でアメリカの政治家が引用してきた。

理念に引き寄せられた「移民国家アメリカ」神話
近代のヨーロッパにおけるネーションステートは、「民族国家」といわれています。通常、国民国家は政治的単位となる民族的単位がもとになり、例えばドイツ人、日本人など血縁的な共同体をベースに国家が形成されていきます。しかし、アメリカの場合は、イギリス植民地起源の国でありながら建国当時からイギリス系の白人は6割弱しか存在せず、2割は黒人の奴隷でした。さらに、総人口におけるイギリス系の割合は減少の一途をたどり、1920年には4割弱、現在では1割弱しかいません。つまりイギリス系の人びとを中心とした国とはなりませんでした。ゆえにアメリカは、統合の核に自由や平等、独立宣言や憲法でうたった普遍原理を掲げて国をつくることを目指したのです。そして、民族ではなく理念に引き寄せられた移民たちからなる国、世界史上にも特殊な移民国家としてアメリカが誕生したと語られてきました。
これを私はさまざまな側面から検証して、ある種の神話ではないかとの議論を投げかけています。例えば「人類の避難所」や「抑圧されし者の避難所」という表現も、実は建国当初からあったことがわかります。旧世界のヨーロッパからの移民を歓迎して、市民権取得を促すことが、新世界アメリカの当然の施策だったのです。そうした移民国家としてのアメリカというイメージを自ら描きながら、ある種のアメリカ例外主義的な自画像を膨らませていきました。理念国家であるからこそ、人種、民族という属性を問わず、アメリカで生まれたことが重視され、出生地主義というものが原則になったわけです。
移民国家としてのアメリカという神話の象徴的なものとして「自由の女神」が挙げられます。自由の女神像には、エマ・ラザラスというユダヤ系の女性が書いた『新しい巨像』という詩が刻まれています。「疲れた人びと、貧しい人びとを……私のもとへ送りなさい」という詩によって自由の女神にも「人類の避難所」としてのイメージがついて、移民歓迎のシンボルと理解されるようになりました。しかし、自由の女神像はもともとフランス政府からアメリカの独立100周年を祝って寄贈されたもの。この像の制作が提案されたのは1865年で、これは南北戦争が終わった年です。当時の文書をひもとくと、フランス政府が意図したのは奴隷解放による新しい自由の誕生、これを記念しての制作だったことがわかります。つまり、制作当初は移民歓迎のシンボルではなく、そのイメージは後づけでつくられたわけです。
建国から移民国家への変遷
次にアメリカは建国時から移民国家だったのかという論点を考察したいと思います。アメリカが移民統計を取り始めるのは1820年のこと。実は独立してから1820年までのおよそ40年間の移民推計は約25万人しかいない。独立宣言を起草したトマス・ジェファソンの発言にも「人類の避難所」という文言が出てきますが、理念としてはあっても実態ではなかったということがわかります。私の見るところでは、アメリカ政府が移民奨励策に転換していくのは、リンカン政権下の1860年代以降となります。では、それまでのアメリカとは何だったのか?私は「奴隷国家」というチャレンジングな言葉を選択してみました。アメリカ史において奴隷制をどう見るのかという問いは、大変論争的なテーマです。自由と平等の国アメリカでは、長らく奴隷制というのは異物、あるいは逸脱と位置づけられてきましたが、実はそうではないということを私は主張しています。
例えば初代大統領のワシントンから第10代までの歴代大統領を見ると、第2代、第6代、第8代を除く、ほぼすべての大統領がバージニア州出身であり、大きなプランテーション農園の経営者としての顔をもち、奴隷を所有していた。初代大統領のワシントンは100人以上、独立宣言で「すべての人間は平等である」とうたったトマス・ジェファソンに至っては600人以上の奴隷を所有していたのです。そうした人物が政権の中枢にいたということになります。アメリカで移民の受け入れが本格化するのは1870年代以降です。それ以前のアメリカでは移民の受け入れは限定的で、むしろアメリカ経済の労働力の主力は黒人奴隷だったのです。アメリカは19世紀の南北戦争を境にして、奴隷国家から移民国家へと変質していったと見るのが適切なのではないかと考えます。

出典:貴堂嘉之『移民国家アメリカの歴史』(岩波書店、2018年 p.7)
白人のマイノリティ化とマイノリティの白人化
これまで、統合的なアメリカ像の描き直しの事例などを紹介してきました。歴史家は、過去を分析対象としていて、未来について語ることには禁欲的であるべきだと重々承知しているのですが、これからのアメリカ社会の行方やアメリカ史研究のあり方について話してみたいと思います。
まず、アメリカ社会の未来予想について学会発表で失敗した、私自身の反省から入ります。日本を代表する歴史学研究会が2019年5月に「排外主義の時代における歴史学の課題」というテーマでシンポジウムを開催しました。ちょうど1期目のトランプ政権下、2期目当選を目指していた最中で、まだ結果は出ていなかった時期です。私は、同シンポジウムに登壇して、白人・ヒスパニック・黒人・アジア系のアメリカ総人口に占める割合に言及しました。それぞれの人種における1960年と2011年の割合の比較、そして2050年にはどうなるかという予測データを示し、白人至上主義と自国第一主義が結合した「白人ナショナリズム」が、それほど長続きしないのではないかと提言しました。つまり、白人のマイノリティ化という状況が生まれる中で、大きくアメリカ政治は変わるだろうという未来予想を提示したわけです。2020年の大統領選では民主党のバイデンが勝利したので、トランプ敗北を予測したとも言えますが、2024年の大統領選の結果を見れば、私の見立ては誤りだったと言わざるを得ません。
2024年の大統領選に関しては、多くの識者がさまざまな角度からトランプ陣営の勝因分析をおこなっていますが、総じて言えば、人種とジェンダーの観点からすると、民主党のハリスが女性候補であり、トランプ陣営のマスキュリニティのけん伝が極めて効果的だったこと。さらに中絶問題などの社会的争点に関して、これまでは民主党支持者の多かったラティーノ男性が、今回は民主党に拒絶反応を示してトランプに票を入れるケースが多かったこと。これらが大きなポイントだったと思います。ラティーノ男性がトランプ支持に回ったことは、「白人とは何か」という論点に新たな波紋を広げたように思います。エリック・カウフマンという政治学者の『ホワイトシフト』※3という書籍が2023年に刊行されています。この本では、ヨーロッパや南アフリカを含めたさまざまな地域で白人がマイノリティ化し、逆にそれまでマイノリティといわれてきた人びとが白人の文化や伝統を身につけて白人化する現象が起きると予測しています。アメリカにおいても、ラティーノの白人化としてこの現象が起きているのではないでしょうか。
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※3エリック・カウフマン『ホワイトシフト〜白人がマイノリティになる日〜』(亜紀書房、2023年)
白人の伝統的文化を身につけた混血人種がマジョリティに変容し、白人がマイノリティ化する未来像を提言。欧米でセンセーショナルを巻き起こした書籍『WHITESHIFT: Populism, Immigration and the Future of White Majorities』(Allen Lane, 2018)の和訳本

グラフ:アメリカ合衆国における白人・ヒスパニック・黒人・アジア系の人口比率
出典:
A Milestone En Route to a Majority Minority Nation (Pew Research Center, 2012)
分断状況下で対話可能な社会とは
私たちのアメリカ史研究は、アイデンティティ・ポリティクスと連動しているところがあります。例えば、何々系アメリカ人は、こういうアイデンティティをもつので、このような投票行動に向かうと考えるわけです。しかし今回の大統領選はアイデンティティの問題以上に経済などの問題が大事だったように、アイデンティティだけでは投票行動が読めなくなってきています。さらに今回の大統領選では、イーロン・マスクに代表される成功者たちがトランプ支持に回ったことも大きな影響を及ぼしました。しかもイーロン・マスクが当時、Twitter(現X)というメディアを得たことにより、加速度的にその影響力が増大しました。最近では票の掘り起こしのために、AIによる機械学習や心理学を駆使し、個人の性格に基づいた解析がおこなわれているようです。歴史学者や社会学者のアプローチよりも高い精度を発揮している可能性もあり、私たちも批判的に自分を見つめ直していく必要があると思っています。これから2050年に向けて白人がマイノリティ化していく中で、今後の20年、30年で白人性の再定義が始まっていくことをどう考えるのかという点が、社会的分断のポリティクスの行方を見るときに、とても大事なポイントになると思います。
また現状では、分断状況下で異なるアメリカ像をもつ者同士が、対話不可能な袋小路に陥っています。社会正義の看板を掲げる者は、すぐに敵対者を差別主義者とレッテル貼りをして、対話すらできなくなっています。私はこうした事態を由々しき問題であると感じています。社会正義の反対側には、おそらくもう一つの正義があるのであって、こういう両者がどうしたら対話可能になるのか、その対話の道を探ることが今極めて大事になってきています。アメリカで20世紀末以降、長らく続いたアイデンティティ・ポリティクスの時代の終わりを見据えながら、対話可能な社会がいかに実現可能なのか。今後もこの重要なテーマを追い求めていきたいと思います。
Text by Keiichi Masuda
Photographs by Masaharu Hatta
大澤真幸座長の視点
トランプがアメリカ大統領に就任し、驚くような大統領令を次々と発し、世界は混乱を極めている。私たちはどこに向かっているのか、さっぱりわからないような状況だ。だがそれでも、一つのことを私たちは直感している。予想外の展開になっているとはいえ、この変化には世界史的な必然性があるのではないか、と。トランプの大統領就任が2度目であることを思うと、ヘーゲルの言葉としてマルクスが引用したことの正しさを、私たちは改めて確認している。それは、およそ世界史的な意義をもつ大事件は2度起きるということだ。
貴堂嘉之氏の講演はこの混迷した状況をどのように理解したらよいのか、その基本的な方針を示唆するものであった。アメリカ史を長く深く研究されてきた専門家として、貴堂氏が提起してくださった教訓の中でも特に重要なことは、私たちは問題の設定の仕方からして間違っている、ということである。正解を性急に求める前に、正しく問いを立てなくてはならない。
例えば私たちは、アメリカ大統領選を外から眺めながら、どうしてアメリカはこんなに分断してしまったのか、と問いたくなる。しかし貴堂氏によれば、分断はアメリカの常態である。分断されていないアメリカはなかった。そうだとすれば、私たちはどうして分断したのかと問うのではなく、今回のこの分断の特徴は何か、と問わなくてはならない。
トランプ大統領の(再)登場によって、「移民国家」としてのアメリカは終わるのか、と私たちは考えるが、移民国家の前にアメリカは「奴隷国家」だった、と貴堂氏は論ずる。これはアメリカ研究の専門家としても、実に大胆な主張ではないか、と私は思う。アメリカにかつて黒人奴隷がいたことはよく知られていることだが、「自由」の国とされているアメリカの全体的な性格は、むしろ自由の反対物であるところの「奴隷」によってこそ特徴づけられるというのだから。アメリカの歴史の基層には奴隷国家があるということを踏まえて、現在を見直したらどう見えてくるだろうか。
黒人の対極にはもちろん白人がいる。トランプを支持しているのは、白人の(特に男性の)労働者だとされている。だがこの点に関しても貴堂氏は重要なことを指摘される。アメリカでは白人はマイノリティ化しつつある。ならばどうして、白人男性を主な支持基盤としている者が今、選挙に勝つことができたのか。貴堂氏によると、マイノリティの方が白人化しているからである。かつてであれば、いずれかの集団や階層が「白人化している」といえば、裕福なエリート層に近づいているという意味だった。しかし現在の「白人化」は、まさにマイノリティとなり世界から見捨てられているかのような思いをもっている白人たちに、もともとのマイノリティ(例えばヒスパニック系の人)が近づき同調している、ということである。ここにもかつてであればありえなかった転回がある。

貴堂嘉之(きどう・よしゆき) 一橋大学大学院社会学研究科教授
1989年東京大学教養学部地域文化研究(アメリカ科)卒業。同大学大学院総合文化研究科、コロンビア大学大学院歴史学部博士課程で学ぶ。1994年東京大学教養学部助手を経て、1995年より千葉大学文学部にて勤務。2002年より一橋大学大学院社会学研究科に異動し、2010年より同教授に就任。専門は、アメリカ合衆国史、人種・ジェンダー・エスニシティ研究。主な著書(監修を含む)に、『アメリカ合衆国と中国人移民―歴史のなかの「移民国家」アメリカ』(名古屋大学出版会、2012年)、『移民国家アメリカの歴史』(岩波書店、2018年)、『シリーズ アメリカ合衆国史② 南北戦争の時代 19世紀』(岩波書店、2019年)、『大学生がレイシズムに向き合って考えてみた【改訂版】』(明石書店、2025年)などがある。

大澤真幸 おおさわ・まさち 1958年長野県松本市生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。社会学博士。千葉大学文学部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を歴任。個人思想誌『THINKING「O」』主宰。現在、『群像』(講談社)誌上で評論『〈世界史〉の哲学』を連載中。著書に『資本主義の〈その先〉へ』(筑摩書房、2023年)ほか多数。