社会に開かれたケアへ 日本のケアの現在地
電通総研は2024年8月、「ケアに関する意識調査」の結果を発表しました。この調査を監修していただいた同志社大学大学院・岡野八代教授に、調査結果の注目すべきポイントや見えてきた課題についてインタビューしました。
*調査に関する詳細な情報やレポートはこちらをご覧ください。
聞き手:若杉 茜、青山 公亮
――ケアの定義について、今回の調査では「他者のニーズ(してほしいこと、必要なこと)を気にかけ、配慮し、世話する」と設定しましたが、実はケアにはさまざまな定義が存在します。ケアの定義と関連して、岡野先生の考えをお聞かせください。
『ケアリング・デモクラシー』(2024、勁草書房)の著者であるジョアン・C・トロント※1氏は、ケアについて広い定義※2をされていて、人間のあらゆる活動がケアであり、人類的な活動だと述べています。トロント氏による定義では、ケアには世界も環境も、更には社会福祉や再分配を担っている政治も含まれていました。多様な人がいろいろなニーズをもっているということを、政治こそが考えないといけない。その点では、まさに政治もケアです。そういう批判的な視点がトロント氏の定義にはありました。トロント氏が政治理論・政治哲学の学問的系譜において理論化したことにより、ケアの倫理の研究は随分と変わっていきました。
ケアの定義をするのは、難しかったです。拙著でも、最初は多くの人にとって身近な子育てをイメージして話し始めました。「他者のニーズに応える」となると、たいてい対象が身近な人になってしまうので、社会的なものが出にくくなります。本当は環境とか、日本の未来とか、普段から気にしていることがいっぱいあるはずです。環境へのケアとか、地域へのケアとか、ケアというのは至る所に遍在しているからです。でも、あまり定義が広すぎると答えにくいですよね。少なくともケアに関心がもたれ始めたのは、それまで全く可視化されていなかった子育てや家事の分野なので、最初のステップとしてこういう形で聞いてはどうかと思いました。
現在私はケアの研究をしていますが、本当はケアを自分の専門である政治思想までつなげていきたいと考えています。でも、学生たちの主な関心は政治より家族に近い。ケアの倫理が本来超えたかったのは、政治とケアの領域の境界です。女性たちがケア労働に長く携わってきたので、社会活動にどうしてもアクセスがしにくくなるということ。それをどう超えていくかを問題にしていく必要がある。ケアは政治も支えているという点が重要ですが、それを調査で明らかにしていくことも今後必要だと思います。また今回の調査結果から、ケアを誰かとし合う関係にない人たちが一定数存在することが見えてきたのはすごく大事なことで、その人たちをどう考えるかというのは、大きな課題かもしれないです。
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※1ミネソタ大学政治学・教授、ニューヨーク市立大学大学院/ハンターカレッジ・名誉教授。フェミニズム政治理論の専門家で、ケアの倫理の第一人者。
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※2トロント氏とベレニス・フィッシャー氏は、ケアを以下のように定義した。「わたしたちがこの世界で、可能な限り善く生きるために、この世界を維持し、継続し、そして修復するためになす、すべての活動」(ジョアン・C・トロント『ケアするのは誰か? 新しい民主主義のかたちへ』「ケアするのは誰か?——いかに、民主主義を再編するか」(岡野八代訳・著、2020、白澤社)
――今回の調査結果について、特に興味深いと思われた点はありますか?
ケアした経験についての自由回答で、ケアをほとんどしない人からはこれといった言葉が出てこなかった点が興味深かったです。例えば、毎日実際に家族のことを見ている人であればすぐ、「他者のニーズ」と言われたら「あ、そういうことね」と具体的に回答することが思いつくはずですよね。でもケアをほとんどしない人は、ケアが何かわからない。それがケアの一つの特徴です。(図1)
次に、今一番ケアしたいものを尋ねたときに、10代に見られる「友達・友人」が、20代以降になるとケアしたい対象の上位から消えるのが特徴的だと思いました。
イギリスなどの調査だと、一番長くケアするのは、「家族」じゃなく「友人」と出てくるんです。安定したケア、信頼できるケアの事例として「友人」があるんですよね。日本では「友人」の回答がこんなに少なくていいのだろうかとちょっと思います。
また、男女の違いで見ると男性30~60代で「妻」を挙げていた人が多かったのが意外でしたね。それに対して女性は30~40代では「子供・子ども」が多いですが、女性50~60代で「自分」が一番多くなっていたことがすごく興味深かったです。年代的には育児や家事の大きな負担が解消されて、やっと自分のことがケアできるということかもしれません。男性30~60代が挙げる「妻」と、女性50~60代が挙げる「自分」というのは、解釈の余地があるなと思いました。女性の多くはずっと他人をケアしているから、実はどの年代でもケアしたいものに「自分」が挙がっていて、そして50代以上で改めて一番ケアしたいものが「自分」になるのではないかなと思います。男性はどうして「妻」なのか。どういうケアなのかは、ここからはわかりませんが、興味深い結果だと思いますね。(図2)
自立と依存(他者に頼っている)についての回答も、これに関連して思うところがありました。男性60代は他の属性と比べてケアをそこまでしていないけれども、自分は「自立している」という回答が一番多かった。日本だと60代はまだ働いていますよね。70代の回答があったらまた傾向が違うのかなあと疑問をもちました。(図3)
「自立」という言葉について、どんなことを自立だと思っているのでしょうか。男性が感じている自立、女性が感じている自立、それぞれ違いがあると思います。 社会学者の上野千鶴子さんは、「女縁」の世界という話をしていて、女性は60代になると、自分たちの縁で、女同士、温泉旅行へ行ったりするんですけど、男性はそういう縁をもっていない※3。会社の「社縁」しかもっていないので、孤立化しやすいとおっしゃっています 。今回の調査は実社会を映している印象を受けていますが、男性60代で「自立している」という回答が多いというこの結果はすごく意外でしたね。
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※3編集補足:内閣府が2020(令和2)年に60歳以上の男女を対象におこなった調査によると、男性は異性・同性の友人がいないという回答が4割を占めた。一方、女性では23%であった(内閣府「第9回高齢者の生活と意識に関する国際比較調査」より(https://www8.cao.go.jp/kourei/ishiki/r02/zentai/pdf_index.html)
――今回の調査では「ケアした経験」・「ケアされた経験」について、それぞれ自由に記述してもらいました。すると、「ケアした経験」・「ケアされた経験」ともに、自由回答の頻出単語の1位は「仕事」で、意外な結果となりました。「家族」や「家事」が一番多いかなと思っていたのですが…。岡野先生はこれについては、どう思われますか?(図4)
これはケアの研究で言われていることですが、21世紀になってデジタル化・グローバル化したので、仕事の拘束時間がすごく長くなっています。メールはいつでも、海外にいても来るし、年がら年中仕事のことを考えざるを得ない。そのため、仕事が中心の生活になり、本来いろいろな場面にあるはずのケアする時間がますますなくなってきています。このままだと家族を維持することができないという研究がたくさん出てきています。 私がそもそも想定しているケアの倫理のベースには、子どもなど自分でニーズを満たすことができない人へのケアというものがあります。「ケアした・された経験」の回答に「仕事」が多く出てくるというのは、そうなっていない側面が見えてきたと思います。
――看護師・介護士の方で、仕事でケアするといった回答も入っていたので、グローバル化・デジタル化と同時に、ケアの「社会化」も一つの要因かもしれないですね。
そうですね。だから研究者の中では、有償のケアは別物として考えて、ケアの時間は無償であると、はっきり分ける方もいます。『Part-Time for All』※4 という本が2023年に出たのですが、その本の中では、全ての人がケアと仕事をパートタイムでやると言っています。全員パートタイムで、どんなに忙しい医者でも、研究者でも、1週間30時間以上は働いちゃいけませんと言う研究者がいます。『Part-Time for All』の著者によると、時間がなくて余裕がないと、ケアは負担になる。例えば、今回の調査でも職種別で見ると経営者の方々はケアしている傾向にあったと思いますが、その人たちはおそらく仕事の延長で他者にケアしていて、仕事以外のところは別の誰かがケア役割を担っているのではないかと想像してしまいます。しかも、彼/彼女らの場合はケアを通じてネットワークや関係性を自分の総意工夫で広げていく。そう考えると、ケアには、すごくポジティブな形でケア能力を発揮して自分の力になっていくケアと、長時間で負担になってどんどん関係性を狭めていくケアの両面があると思います。それらは定義も違うし、具体的な内容も違うんですが、それがケアのもつ複雑さです。これまで多くの社会科学でケアの視点が見過ごされてきたのは、非常に多様で、人によって定義も違い、同じことをやっても主観的な受け止めが全然違うことが原因の一つだと思います。同じケアでも、評価されて賃金をもらえるものと、無償で負担させられているものとでは全然違いますよね。看護師の意識と、家で同じようなことをしている人の意識が違うのがケアの興味深いところです。負担感は、ケアにかけている時間と深く関わっていると思います。
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※4Jennifer Nedelsky & Tom Malleson (2023) Part-Time for All: A Care Manifesto, Oxford University Press
――負担感という話が出ましたが、ケアするときの気持ちについて聞いたところ、女性は「疲れ」を挙げる人が男性と比べて多い結果となりました。(図5)
ちょうどコロナ禍のときに、社会学者の落合恵美子さんが、家の中の家事の男女の分担について調査していました※5。ステイホームで一緒にいるので、男性はなんとなく夫婦関係が良くなったと思う、逆に、女性は負担が増えて疲れたと思う。家にいることに男性はポジティブなのですが、女性がネガティブに受け取っている傾向がうかがわれました。男性は、家で妻が家事をやっているのを見ていてもそのケアにあまり気づいていない。女性が「疲れ」を挙げるということに関連して、それを思い出しました。
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※5「自分もしくは同居家族が新型コロナの影響により、在宅勤務を経験した人」を対象に、2020年4月8〜15日に実施されたウェブ調査。詳細は次のリンクで閲覧可能( https://gendai.media/articles/-/72551?imp=0)。
――自由回答のクラスター分類では「話を聞くこと」が、「ケアした経験」でも「ケアされた経験」でもそれぞれ一つのクラスターを形成していることが見えてきて、印象的でした。(図6)
聞く・話すというのは、ケアの中でもとても大事な行為です。特別何もしていないけど、話を聞いてあげるだけでもいいんです。ケアはなんとなく人の足りないものを足してあげるもので、手段なんです。例えば健康を目的として、一つの手段としてケアするといったように。でも、話を聞いたりするのは、目的そのものでもあります。聞いてもらって安心だし、手段でもあるけど、目的そのものでもある。実際にはあらゆるケアはそうなんですが、それがすごく直感的に表れているのが、この「何もしないのだけど話を聞いている」という、そばにいるケアだと思います。
――今回の調査結果の全体から見えてきた、日本の社会におけるケアの受け止められ方について、どうお考えになりますか?
日本では、「家族」と「仕事」だけが関心領域である傾向が強いことが見えたと思います。社会学者・文化人類学者の杉本良夫さんによる調査では、日本では圧倒的に、職場と家族以外の所属先がありません。一方彼が比較研究をしたオーストラリアでは、宗教、ボーイスカウト/ガールスカウト、いろいろな地域活動、スポーツ、そういった所属先がたくさん出てきます。日本では所属先があまりない。市民社会における人間関係というのを醸成してこなかったのです。
私は、ケアする対象が「家族」と「仕事」に限られているという傾向が、日本での政治参加の希薄さを如実に物語っていると思っています。困った人でつくり合うネットワークは通常社会の中にあるはずなのですが、現在の日本ではあまりそれがないのかもしれないなと思いました。ネットワークがない人たちはケアする経験が少ないというのは必然の結果のように思われます。
本来であれば、一人一人は弱い存在だからこそ、誰かに頼って、社会の中に居場所をつくっていくものですよね。私が共訳した『ケア宣言 相互依存の政治へ』(2021、大月書店)の中で取り上げられている事例では、ケアのネットワークを自分たちでつくり上げた人たちはみんな、経済的に破綻をした都市であるアテネやバルセロナの市民で、困難を抱えていた人たちです。だからこそ自分たちで組合や生活協同組合をつくり始めました。バルセロナは、サッカーチームを市で持っているし、大学も協同組合で、みんなでコミュニティを支えて、すごくいい都市になっている。これらと比べると、日本はやっぱり「家族」か「仕事」かという社会性の狭さが見えてきます。会社に入ったり、結婚したりするとケアするサークルが閉じちゃうのは、なんか悲しいですよね。ケアの意識がもっと社会に開かれていくことが日本には必要だと思います。
Text by Akane WAKASUGI
Photographs by Masaharu Hatta
岡野八代 おかの・やよ 同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科。専門は西洋政治思想史、フェミニズム理論。著書に『フェミニズムの政治学 ケアの倫理をグローバル社会へ』(2012、みすず書房)、『戦争に抗する ケアの倫理と平和の構想』(2015、岩波書店)、『ケアの倫理 フェミニズムの政治思想』(2024、岩波書店)など。
若杉茜 わかすぎ・あかね 電通総研 研究員・プロデューサー
2022年4月より電通総研。活動テーマは「ケア」「ウェルビーイング」。クリエーティブ、コミュニケーションプランニングの実務経験と哲学のバックグラウンドを活かして研究活動をおこなう。
青山公亮 あおやま・こうすけ 電通総研 研究員・プロデューサー
2023年1月より電通総研。主な活動テーマは「ケア」「社会システム」。PRプランナーの実務経験と社会科学研究のバックグラウンドを生かして研究活動をおこなう。