地域活性化と「テリトーリオ」の概念
近年、食の地域性に注目し、地域資源の高付加価値化に取り組む事例が増えています。イタリアには地域の価値と深い関わりのある、「テリトーリオ」という概念があります。法政大学の木村純子教授に、「テリトーリオ」についてお話を伺いました。
聞き手:合原 兆二、小笠原 望
「テリトーリオ」の概念
――木村先生は、イタリアの「テリトーリオ」という概念に注目されていますが、そもそも「テリトーリオ」とはどのような考え方なのでしょうか?
「テリトーリオ」とは、もともと「地域圏」を表すイタリア語です。この「テリトーリオ」というのは、行政区を超えて、社会経済的、文化的なアイデンティティを共有する空間の広がりとしての地域あるいは領域を指しています。イタリアでは、地域の競争優位性の重要な要素の一つとして取り入れられ、まさに地域価値と深い関わりがある概念です。
近年、日本でも浸透してきているフランス語の「テロワール」という概念があります。これは、日本ではワインの世界でよく見かける言葉ですけれども、ブドウが育つ土壌、気候、地形、風土などの自然環境を指す場合が多いです。一方、「テリトーリオ」は、自然特性だけではなく、その土地に古くから続く歴史やそこに生きる人びとが守ってきた伝統、文化、技術、知識、価値観などといった特性も構成要素であると認識しています。さらに、「テリトーリオ」には、都市と農村のインタラクションも含まれます。ちなみに、テリトーリオはフランス語では「テリトワール」といいます。
日本では、明治時代の廃藩置県、さらに度重なる市町村合併で、行政区の自治体単位では「テリトーリオ」という考えを浸透させることが難しくなってしまいました。どちらかというと、江戸時代の藩や令制国※1の方が近いかもしれません。私は大阪府出身ですが、摂津国と河内国とでは、カルチャーが違います。また、それぞれの地域の人びとは地域のアイデンティティに対して強いと愛着を持っているようにも感じます。「テリトーリオ」というのは、そういったイメージです。
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※1 令制国(りょうせいこく):日本の地方行政区分で、古代から明治時代初期まで使用されていた。
――木村先生が「テリトーリオ」という概念に出会われたきっかけは何ですか?
2012年から2年間、イタリアのベネチア大学の客員教授として指導をおこなっておりました。その間に食文化、特にワイン、チーズ、オリーブオイル、野菜の調査をしている中で出会ったのが、「原産地呼称保護(PDO)」と「地理的表示保護(PGI)」の制度です。これは特定の地域と結びついた名称を保護する制度です。
パルマへ行ったときに、原産地呼称保護(PDO)に登録されたパルミジャーノ・レッジャーノの生産者に「あなたはこれから生産量をどれぐらい増やしたいですか」、「規模をどれぐらい拡大していく予定ですか」と尋ねました。すると、困惑した顔をされました。イタリアで、産品を生産性や規模拡大、均質化といった基準で評価することの難しさを実感しました。また、ナポリにある教育農場で原産地呼称保護(PDO)に登録された水牛モッツァレッラチーズの調査にも行きました。その時に初めて、「テリトーリオ」という言葉に出会いました。イタリアではテレビの料理番組を見ていても、研究者に話を聞いても、「テリトーリオ」という言葉をよく耳にします。私から見るとイタリアの人びとの生活は、とても豊かに見えます。それがどうしてかを考えたときに、農業に底力がある、農業と人びとの生活が近い、農村が輝いているからだとわかりました。
もともとイタリアでは、都市と農村が結びつきながら、相互に支え合い、独自の地域性を育んできた経緯があります。それが、その地域に住む人びとの誇りでもあったのです。イタリアは、1950年代から1960年代半ばにかけて、高度経済成長を経験し、大都市が急成長し、工業も発展していきました。しかし、近代化・工業化により、経済的発展を最優先させ都市開発を推し進めていった結果、農村からは多くの若者が大都市へ移住し、農村は労働力を失い、衰退、疲弊していきました。そこで、イタリアらしさを取り戻そうと、1980年代頃からさまざまな運動が起こり、取り組みをおこなうようになりました。例えば、土地の伝統的な食文化や食材を見直す「スローフード運動」や、先述したEU(欧州連合、以下EU)の「地理的表示(GI)保護制度」などです。「テリトーリオ」という言葉が頻繁に使われるようになったのもこの頃だといわれています。田園や農村の魅力・豊かさ、ポテンシャルの再発見・再評価に向けての思いを込めて、この言葉が意図的に使われるようになりました。
今の日本の状況も、かつてのイタリアの状況に似ています。これからの地域活性化、地方創生の中で、この「テリトーリオ」の考え方は参考になるのではないでしょうか。
地理的表示(GI)の可能性
――日本には、「テリトーリオ」という概念に近い取り組みはありますか?
日本にも「地理的表示(GI)※2保護制度」の取り組みがあります。これは、先ほどご説明したEUの制度に倣って作られたものです。農林水産省が管理する農産物・食品については、2015年12月に最初に登録されたのが、「神戸ビーフ」や「夕張メロン」などの7産品です。2024年3月現在、登録数は150産品を超えています。農林水産省の定義では、「その地域ならではの⾃然的、⼈⽂的、社会的な要因・環境の中で長年育まれてきた品質、社会的評価等の特性を有する産品の名称」と説明されています。登録されているのは、有名な産品だけではなく、ごく限られた地域でのみ作られ、生産量も少ない産品まで、その特性は多様です。イタリアでは、地理的表示(GI)産品がその生産地を振興する重要な役割を担っています。地域経済に貢献したり、グローバル市場における差別化要因として輸出拡大に貢献したりしています。日本でも地理的表示(GI)産品を活用した地域活性化と海外での市場創出を実現させることが期待されています。
しかしながら、単に「地理的表示(GI)」に登録されればいいというわけではありません。一つの産品だけでその地域が活性化するかといえば、そうではありません。例えば、ある産品を地理的表示(GI)に登録し、プレミアム価格をつけて、都市への大量出荷や海外への輸出を促進しても、地域全体への還元に結びつかない場合もあります。
「地理的表示(GI)」の登録はゴールなのではなく、さまざまなプロジェクトを立ち上げて、関連主体をネットワーク化することによって、「地理的表示(GI)」で表現できる「テリトーリオ」が唯一無二の存在になります。また、観光資源にいかに組み込むかも重要です。例えば、イタリアでしたらヴェネト州の「プロセッコ街道」やドロミテ地域の「チーズ街道」などがあります。そのように、一つの産品だけではなく、観光なども含んだ他のセクターと一緒に地域を活性化することで、生産者を守ることにつながり、雇用も生まれ、自然を守っていくことで景観が守られて、それが地域の大きな魅力になるという循環につながっていくわけです。
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※2 GI:Geographical Indicationsの略で「地理的表示」を意味する。
――現在の日本での地理的表示(GI)保護制度にはどのような課題があると思いますか?
何よりも「地理的表示(GI)保護制度」自体の認知度が低いことが課題です。理由が二つあります。一つ目は、登録産品を目にする機会が少ないということです。より多くの人に制度を認知してもらうために、登録産品のステークホルダーが個々に発信をすること、および国が制度自体の情報発信を積極的におこなうことが必要です。二つ目は、EUの「原産地呼称保護(PDO)」や「地理的表示保護(PGI)」とは異なり、日本では、加工品よりも圧倒的に生鮮品が多いということです。つまり、出荷できる期間が限られてしまい、年間を通じて流通させることができません。鮮度が落ちてしまうので、あまり広範囲に流通させられないという制約もあります。また、地理的表示(GI)保護制度に関しては、生鮮品や加工品などの産品は農林水産省、日本酒や焼酎などの酒類は財務省・国税庁と、監督官庁が異なるため、一元化した普及と振興をしにくいことも課題の一つです。
(出所:農林水産省ウェブサイト)
地理的表示(GI)保護制度で生産性や効率性重視といった競争に勝つことは難しいですが、非効率であることが強みになる可能性があります。そして、その地域に住む人びとにも「自分たちの大事な産品である」という認識を持ってもらい、「今後守っていかなければならないものである」という意識の芽生えにもつながるのではないでしょうか。
「日本型テリトーリオ」の創出に向けて
――日本において「テリトーリオ」を浸透させるために必要なことはどのようなことでしょうか。
日本の場合は、「経済価値」と「非経済価値」のバランスを考えたときに、「経済価値」が担保されていないと、動きにくくなる印象があります。ヨーロッパの場合は、トップダウン型で、農業・農村政策があり、生産者に対してさまざまな補助金が充実し、長い目で地道にやっていくという方針があります。日本では、政府に頼ることができず、農家や地域の中小企業が独自で経済基盤を確保することが求められるため、また、農家の皆さんが多忙すぎるということもあり、なかなか「非経済価値」を生むまでの余裕を持てないようです。
日本での「テリトーリオ」の形成は、人的ネットワークを構築しながら連携し、テリトーリオのシンボリックな存在として産品を中心に据えて循環させていくことが重要です。例えば、神奈川県伊勢原市にある「いせはら地ミルク」が挙げられます。これは、「いせはら地ミルク」という商品を大ヒットさせる、拡販するというものではありません。住民と自治体、酪農家、乳業メーカーとが一体となって作る、そのプロセスの中で、テリトーリオの意識が醸成され、テリトーリオを活用することで価値を生むことができると後から気づいたのです。地域の一次産業の農家、二次産業の加工業者の方が中心となって、農家の生産物を使い、付加価値のついた加工品を作って、そして持続可能な形で販売するという循環がうまくいっているようです。「日本型テリトーリオ」の形成には多様なセクターの自立的活動や、セクター間のネットワーク形成に向けた仲介や支援が欠かせません。
これからの地域づくり
――最後に、これからの地域づくりに重要な視点を教えていただけますか?
日本には、二十四節気があり、旬や新物を大切にするという文化があります。季節を大事にするという価値観は、はやり廃りに左右されず、「日本型テリトーリオ」を育む一つの方向性だと思います。また、「エノガストロノミア」という考え方にも注目しています。これは、地域のお酒と料理を現地で楽しむ体験です。もともとは、地元のワインと料理を合わせる考え方ですけれども、日本には全国各地に地域特有の食材や料理、日本酒や焼酎やワインなどのお酒があります。地域に新しい風を呼び込む「エノガストロノミア」という考え方にも可能性があるでしょう。
今後の地域づくりで大事なことは、その土地にある資源を大切にし、社会課題に取り組もうとする意識があること、住民や生産者、観光客も含めて参加している人が楽しいことだと思います。そして、日本人特有の価値観を大切にすることも必要です。生産性や効率性を重視するがあまり、地域の疲弊や衰退が危惧されています。ご紹介した「テリトーリオ」という概念や「エノガストロノミア」という考え方が今後の地域の価値創出に寄与することを願っています。
<インタビューを終えて>
今回、「テリトーリオ」という概念や「エノガストロノミア」という考え方から地域活性化への示唆をいただくことができました。地域の資源枯渇にもつながりかねないような短期的な利益の追求や一過性の施策ではなく、地域の大切な共有財を皆で活用するという長期的視点を持って農業活動を継続することの重要性も改めて認識することができました。
執筆:合原 兆二
撮影:伊藤 一雄
木村 純子 きむら・じゅんこ法政大学経営学部教授。ニューヨーク州立大学修士課程修了(MA)、神戸大学博士後期課程修了、博士(商学)。 2012年~2014年、ベネチア大学客員教授。専門は、テリトーリオ、地理的表示(GI)保護制度、地域活性化。農林水産省の地理的表示(GI)登録における学識経験者、財務省の国税審議会委員、内閣府のクールジャパン・アカデミアフォーラム委員他。近著は木村純子・陣内秀信編著『イタリアのテリトーリオ戦略:甦る都市と農村の交流』(2022年、白桃書房)、木村純子・中村丁次編著『持続可能な酪農:SDGsへの貢献』(2022年、中央法規出版)、木村純子・陣内秀信編著『南イタリアの食とテリトーリオ:農業が社会を変える』(2024年、白桃書房)。