研究DXとラボオートメーションが変える研究スタイルの未来
渋谷 謙吾 株式会社電通総研
ヒューマノロジー創発本部 Open Innovationラボ
岡田 真由 株式会社電通総研
ヒューマノロジー創発本部 Open Innovationラボ
デジタル技術がさまざまな変革をもたらしている今、研究の世界も例外ではありません。近年注目を集めている研究のデジタルトランスフォーメーション(研究DX:研究分野におけるデジタル技術の活用)や実験室自動化(Laboratory Automation:実験や研究プロセスを自動化する技術)は、エラーの低減、再現性の向上、スループットの向上に寄与し、研究開発プロセスを効率化するための重要な技術です。内閣府においても、研究DXを通じた研究の生産性向上を目指し、さまざまな取り組みを行っています(※1)。加速する研究のデジタル化。本稿では、その課題や、私たちOpen Innovationラボの具体的な取り組みについて紹介します。
※1)内閣府Webページ 研究DX
https://www8.cao.go.jp/cstp/kenkyudx.html
研究開発のデジタル化における共通課題
研究室での作業のデジタル化・自動化に取り組む際に、多くの研究者はいくつかの共通した問題に直面します。
はじめにぶつかるのが、どこから取り組めばいいかわからないという問題です。研究プロセスは研究室ごとに大きく異なり、各研究室特有の慣習や設備の制約、働く人々の価値観によってどのような効率化が求められるかも変わってきます。そのため、一般的なロードマップやこれをやれば効果が出るという絶対的なソリューションはありません。
また、初期費用の高さやカスタマイズの難しさの問題もあります。多くの研究室では、既存のパッケージ化された自動化システムを導入しています。しかし、これらのシステムの多くが特定の実験機器にのみ対応しており、拡張性に欠けるため、高い投資にも関わらず、十分に活用されていないという課題があります。
これらの課題に対処するために、私たちは、ゲノム編集技術を活⽤し社会課題解決に取り組むスタートアップ企業のプラチナバイオ株式会社と連携し、各研究室の固有のニーズやそこにいる人々の価値観に基づいたソリューションを見つけるためのニーズ分析を実施。各研究室に合った独自の自動化システムを構築するための実証実験を行いました。
■プラチナバイオ社について
① ⾮モデル⽣物を含むあらゆる⽣物のゲノム情報の解読
② ⽬的の⽣物機能に関わる遺伝⼦を特定
③ ゲノム編集による機能向上
の3点を⼀気通貫で⾏い、社会課題を解決し得る⽣物機能をデザインするプラットフォーマーとして、様々な事業パートナーとの共創事業を推進しています。
会社名:プラチナバイオ株式会社
代表者:代表取締役 CEO 奥原 啓輔
所在地:〒739-0046
広島県東広島市鏡山三丁目10番23号
設立日:2019年8月30日
資本金:2億5365万円
URL:https://www.pt-bio.com/
業務分析を通じた研究プロセスの課題抽出
実証実験では、はじめに、研究プロセスのデジタル化をどのように進めたらいいか分からないという課題に対し、業務分析を通して注力すべき課題の整理を行いました。
この分析では、研究プロセスを改善したいと考える研究者やマネジメント担当者からの意見を集めるために、アイデア出しのワークショップやアンケートを実施しました。これにより、研究プロセスに対する様々なニーズを明らかにし、それらを整理しました(図1)。ニーズには大きく4つの種類があります。1つ目は、「実験を自動化・効率化したい」「研究に関わる情報を効率的に得たい」など、研究開発の仮説検証サイクルを強化するためのもの。2つ目は、「メンバーのスキルを可視化したい」「安全な実験環境をつくりたい」など、研究開発を支援しマネジメントを強化するためのもの。3つ目は、「研究者の知見を整理・共有したい」など、組織力を強化するための個人的なアプローチ。4つ目は、「研究者の自立性を高めたい」「成果を正当に評価してほしい」など、個人の研究開発を強化する組織的なアプローチです。
これらのニーズの中で、研究プロセスを改善していくためには図1の3つの矢印である「研究開発の仮説検証サイクル」「組織力を強化するための個人的なアプローチ」「個人の研究開発を強化する組織的なアプローチ」の流れを強化していくことが重要です。
これらの研究プロセスにおける重要なニーズをより概念的に整理して、研究開発プロセスの理想像を定義しました(図2)。このビジョンには3つの重要な要素があります。
- Speed:研究開発サイクルを迅速に進める
- Support:マネジメントが研究開発の目標達成をサポートする
- Synergy:個々の知見やスキルを組織全体で共有し、活用する
これらのどの要素を重視するかは研究室ごとの特性や価値観によって異なります。研究室においてそれぞれの要素へのニーズを評価し、現状と比較することで、どの課題に優先的に取り組むべきかを明らかにすることができます。
低コストでカスタマイズ性の高い自動化システムの開発
次に、『Speed(研究開発サイクルを迅速に進める)』を実現するための取り組みとして、実験自動化システムの構築を行いました。
自動化システムの構築対象となったプロセスは、バイオ実験において頻繁に行われるDNAサンプル電気泳動後のゲル切り出し作業です。この作業では発がん性の試薬を扱います。このため、自動化によって作業の効率が上がるだけでなく、研究者が発がん性物質に触れるリスクを軽減し、実験の安全性を向上させることができます。また、ロボットが作業をすることで、人間由来の不純物が混入するリスクも低減されます。
自動化に使用するロボットには、Dobot Magician を採用しました。Dobot Magicianは、コンパクトで低価格な4軸ロボットアーム(図3)で、教育から産業用途まで幅広い分野で利用されています。操作は専用のソフトウェアで簡単に行うことができ、必要に応じてプログラミングによるカスタマイズも可能です。
同ロボットのプロトタイプの開発においては、研究者のニーズに迅速に対応するためアジャイルな方法を採用し、低コストでカスタマイズ性の高い自動化システムを構築することができました。
しかし、実際の研究プロセスに導⼊していくことを⾒据えると以下のような課題も明らかになりました。
①実験がうまくいっているかの確認や緊急停⽌システムが必要
②実験に使う材料によってロボット操作の細かいパラメーター調整が必要
これらの課題に対処するためには、高精度センサーを組み込んだロボットの採用や、実験条件をリアルタイムで調整可能なAIによる制御システムの導入が有効です。
リスク管理がどこまで必要であるかは、実験に利用する機器・試薬の危険性や、サンプルの希少性など、実験の内容によって変わります。そのため、実験に応じて費⽤対効果の高い解決策を選択することが重要です。
デジタル化・自動化が進む研究室の未来
今回の実証実験では実験プロセスの一部のみを自動化していますが、プロセス全体を自動化し、実験条件を変更しながら実験を繰り返すことで最適な条件を見つけ出す取り組みも進んでいます。実験データの管理をデジタル化し、「ベイズ最適化」などのアルゴリズムを用いて過去の実験データから次の実験計画を行うことで、実験条件の最適化プロセス全体を自動化します。このような手法を用いることで、人間の経験や勘に基づく実験計画よりも効率的に最適な実験条件を探索できることが報告されています。(※2)
複雑な実験プロセスを自動化するためには、高度なロボット制御技術が欠かせません。最新の研究では、大規模言語モデルのような基盤モデルを用いたAI技術によりロボットの空間認識能力や意思決定能力、制御の柔軟性が向上していることが示されています(※3)。このような技術が成熟していくことで、複雑なタスクであっても自然言語などを用いて簡単に制御できるようになり、状況の変化にも柔軟に対応できるようになることが期待されます。
こうした研究DXやLaboratory Automationの進展により、実験条件の調整や試行錯誤は自動化され、研究者は研究の設計や結果の考察に集中できる未来が訪れるかもしれません。
※2)実験計画に関する研究
https://www.nature.com/articles/s41586-021-03213-y
※3)基盤モデルを用いたロボット制御に関する研究
https://arxiv.org/html/2312.07843v
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※記載情報は執筆当時(2024年4月)におけるものです。予めご了承ください。